











文川地震(「文」はさんずいの文に置き換える。以下同じ)の第一報に接したとき、これは大変なことだ、数万人の犠牲者が出たにちがいない、と即座に思った。1933年、マグニチュード7・5の巨大地震が今回の震源地に近い茂県を襲い、畳渓(城市)と14の村をつぶしたことを知っていたからだ。私は90年代、マウンテンバイクに乗って茂文県(茂県と文川県)を走ったことがあるが、このあたりは深い峡谷ばかりで、ふたたび地震が発生したらどれだけの被害が出るだろうかと、心配に思ったのを覚えている。
茂県、文川県、理県、北川県などは、羌族の密集した地域である。人口10万人余りの羌族は、甲骨文字にも記される古代羌人を祖先とするが、古代羌人の子孫がすべて羌族というわけではなく、チベット・ビルマ語族全体と考えればいいだろう。
羌族の信仰のなかで際立っているのが、白石崇拝である。家屋は莫大な数の石を積んで建て、要所に白石を混ぜる。三階建ての石造家屋は丈夫そうに見えるが、地震にはもろいのではないかと思う。屋根の上の四隅には、左の写真のように白い小石を用いて星や馬などを描き、天神への崇拝を表現する。この人々はいつなんどきでも天上世界へ帰れる準備をしているのだと私は考えた。
疫病や災害、死者の悪霊化などに立ち向かうのは、シピ(シャーマン)の役目である。しかし今回の災害、というよりムゼベ(天神)の起こした天変地異にたいして、シピはなすすべがなかった。
羌族は気性が荒いと言われるが、出会ったすべての人がやさしく、心温かかった。ひとりでも多くの命が助かっていることを願うばかりである。
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