独龍江行
〈紋面と精霊とシャーマニズム〉

                                                    
世界から忘れられた場所

 

 1895年、インドシナの奥にあいていた地図の空白部分にほんのすこし色がつけられた。地理学者エミール・ルーをはじめ生物学者や言語学者など専門家を含む、アンリ・ドルレアン王子率いるフランスの探検隊は、サルウィン川やイラワディ川(エーヤーワディ川)の源流地域に切れ込むように入っていったのである。ハノイを出発した一行は雲南大理府を経て、怒江(サルウィン川)や瀾滄江(メコン川)を北上し、現在高黎貢山と呼ばれる高山を越え、独龍江に到達した。この仏ドルレアン隊が独龍江に接したはじめてのヨーロッパ人と思われる。[1]

 その百年後、私がはじめて独龍江に入ったときでさえその貧しさは衝撃的だったが、ルーはどういった第一印象をもったのだろうか。[2] 『イラワディ川の源流を求めて』中の独龍族の描写は偏見と差別に満ちている。

「女たちは髪を結うことはなく、ほとんど伸ばしっぱなし、伸びて目を覆うほどである。ル人(Loutse 怒族)よりも豪華な彩石のネックレスや魔除けの装飾品をまとっているにもかかわらず、醜さといったらなかった。口のまわりや鼻のてっぺんには刺青が彫られ、美しいとは到底言えない。しかも汚いことといったら! 生れたときから死ぬときまで、キウ人(Kioutse キウはニンベンに求。独龍族)は雨を利用したり、川の浅瀬でからだをきれいにしたりするということを考えたこともないのだ。それだけでは十分ではない。肌の色は黒く、その肌の上にはさらに何層にも垢がのっているのである。こんな人々のあいだにも人の気を惹こうという心はあるのか、銀はないものの、大きな鉄の環のイヤリングを男女ともつけているが、重すぎて耳たぶが垂れている。際立った装飾品としては、膝の裏や腰のまわりに無数のワイヤーを巻き、黒のワックスを塗り、二、三ヶ所で金属の環をくくりつけている。これらは安価なものだが、キウ人に特徴的である」。

 万事がこういった調子で、野蛮人と決めつけた物の言い方である。しかしあとで述べるように物質的な豊かさのないこの渓谷にはそのぶん精霊や妖怪などの民間信仰が発達してきたのだった。もちろんキリスト教的見地からすれば神のいない不毛な地ということになり、独龍江村には早くからプロテスタント系の教会が建設されていた。しかし怒江沿岸のリス族(プロテスタント)やチベット族(カトリック)とくらべると、いまだに民間信仰のほうが盛んなのである。


[1] Emile Roux “Searching for the Sources of the Irrawaddy” 1898, 1999
[2] 独龍江に沿って遡上していくとき、およそ半日、老いた母を背負っているように見える男の人と前後して歩いた。夕方、はじめて間近に見て愕然とした。背負っていたのは老婆ではなく、二十代の女性だったのだ。胸はえぐられたかのように痩せこけ、美しかった顔も赤味を残したまましおれていた。おそらく治療施設がなく、手遅れになり、最期の時を自宅ですごそうとしていたのだろう。現在もシャーマン以外に治療者がいないという状況に変わりはない。



 
独龍江は、はんぱな地域を流れている。西蔵自治区東南端の察隅(ザユrdza yul)県に発したキンタ川(skyid mt’a chu喜びの涯ての川!)は、独龍江として雲南省をかすめ、国境を越えてミャンマー領に入るとンマイ(nmai)川と称し、さらに名をイラワジ川(エーヤーワディ河)と変え、ヤンゴンのデルタ地帯から海に没入する。イラワジ川はミャンマーの真ん中をずどんと通る、国の背骨のような大河だ。中国領を流れるのは、ほんの一瞬にすぎない。地形で国境線をさだめるならば、ミャンマー領であっても不思議ではないのだ。年間降雨量が四千_にも達する湿潤な気候は、アッサムからひとつづきであることを示す。また、独龍江と怒江(サルウィン川上流)のあいだには高黎貢山という四、五千b級の山脈が横たわり、一年の半分は峠が雪に閉ざされ、往来は不可能になってしまうが、ミャンマーへは川伝いに抜けることができる。もっとも、国境線上にもタンタンリカ山という大障壁があるので、中緬両側からアクセスしづらい、しかも北にはヒマラヤがでんと居坐っているので、独龍江地域は隔絶した、どんづまりの場所にあるということなのだ。

  歴史においても、独龍江やそこに住む独龍族(トゥルン族。 チベット=ビルマ語族に属す。人口5816人。察瓦龍(ツァワロンts’a ba rong)のヌー族約六千人は独龍語を話すという。またミャンマー側の独龍族には五つの系統がある)が顧みられることは、ほとんどなかった。『新唐書』の 「紋面濮」、『南詔野史』の「綉面部落」が独龍族を指すかどうかは、わからない。独龍族の旧称チウ人(チウは求にニンベン。前述のキウ人と同じ)が史書にあらわれるのは、ようやく清代になってからのことだ。『雲南通志』(19世紀前半)にはつぎのように記されている。


「チウ人は瀾滄江大雪山(玉龍雪山)の外、鶴慶、麗江の西域外に居る野夷である。草を結んだ、あるいは樹皮で覆っただけの庵に住む。男子は髪を束ね、麻布の短衣を着、裸足である。婦女は銅環をつけ、麻布を着る。山中の洞窟に住む者もある。木の葉をまとい、生肉を食らい、太古の民さながらの生活を送っている」


  これではまるで原始人そのものではないか。しかし漢地からそのように差別的に見られてきたのはまちがいなく、上述のフランス隊もその影響を受けたのかもしれない。

  独龍族が外界と接触をもつようになったのは、雍正年間(1723〜35)に麗江木氏土司下の維西康普土千総と葉枝土千総の管轄に入ってからだと思われる。独龍族は黄蝋や麻布、獣皮などを清朝に献納した。のちチベットの寺院に権利が移され、管轄する察瓦龍(ツァワロン)土司に「超度費」の名目で献納することになった。同時期に貢山のチベット寺院もわざわざ山を越えて、租税を徴収しにやってきた。怒江や瀾滄江のリス族も、独龍江に来ては狼藉をはたらき、独龍族を奴隷にしたり献納を強制したりしたという。

  弱小民族の悲哀のようなものが、感じられる。「野夷」と蔑称で呼ばれたように、一等下の野蛮人とみなされてきたのである。しかし社会組織は彼らなりに発達させていた。15の父系氏族(ニル) 下の 54の父系家族(ジコロ)が、家族長(カサン)のもとに、土地共有制を取り入れてまとまりを保っていた。

  史書上の記載は乏しいが、神話・伝説などの口承文芸は豊富だ。独龍族の人類起源神話は、アジアの他民族の神話(日本の国生み神話も含む)とも共通する点が多く、いわば汎アジア的な神話といえる。

  昔、人と鬼とはいっしょに暮らしていた。あるとき鬼は母親がでかけているすきに家にはいり、赤子を殺し、鍋で煮た。その肉を、戻ってきた母親に知らせないで食わせた。そのことが露見し、人と鬼との関係は悪化した。以来、殺人や盗みなど悪いことが起こるようになったので、天神グムは洪水を引き起こして人類を滅ぼし、鬼の害を除いたあとで、またあらたに人類を繁殖させようと考えたのである。さて、雨が降り続いたので、ひとびとは繁茂したキノコを採って家に帰ったけれど、ある兄妹だけが十分に採れず、カオカプ山のてっぺんにたどりついた。するとそのとき大水が押し寄せてきて、頂上のすぐ下まで水につかってしまったのである。のち兄妹は結婚し(近親相姦だが、天神の許可を得ている)九男九女を生んだ。彼らから人類は繁栄した。

  カオカプは雪山神。万物を雪水ですすいで清め、そこから最初の男女が生まれた。カオカプ山上の岩窟が住まいだという。洪水を生きのびた兄妹から生まれた九男九女はこの岩窟で育ったので、人類揺籃の場所ともいえる。李子賢氏はカオカプ山を高黎貢山主峰(5060b)に比定しているが、カオカプが独龍語でなくチベット語である以上(kha ba dkar po 白雪の意)、チベットの聖山、梅里雪山(カワカポ)を指す可能性も排除しがたい。なお、天地を結ぶ九段の土台(あるいは梯子)が架かっていたのは、独龍江下流のムクムタン山。

紋面女

  独龍族のマージナル性を端的にあらわしているのは、紋面(パクトゥ 刺青を入れた顔)だろう。わたしが独龍江に行こうと考えた理由のひとつは、紋面女に会いたかったからなのだ。どんづまりのような所だからこそ、われわれには理解できない未知の感覚というものがあるにちがいない。

  女が顔面に刺青を入れるのはなぜなのだろうか。わたしは海南島南部で、リー族の紋面[1]の老女を見かけたことがある。かれらは他族の男にさらわれないため醜くしたのだ、と聞いた。台湾のアユタル族にも何人かの紋面の老女が現存していて、1999年の台湾のテレビ・ニュースで健在であることを確認できた。しかしリー族、アユタル族においても、紋面の風習はおこなわれなくなって久しく、目にする機会もいたって少ない。民族的にはより近いミャンマーのチン族にはなお顔面の刺青が見られるが、それもまた女性の略奪を防ぐのが第一の目的であったと考えられる。

  独龍江では、「解放前まで紋面の風習があった」などと中国の資料に書かれるているが、解放前どころか、少なくとも、1970年代前半までは紋面の風習が残っていた。独龍江中上流の50才以上の女性の大半が、顔面全体に花紋の刺青をいれている。いっぽう下流域では、下顎にのみ刺青を入れていたというが、いまではほとんど見かけない。上述のフランス隊の描写は下流域のみのことだったがわかる。

最初の調査でわたしが出会った9人の女性から、その時点での年齢(1996年当時)と刺青を入れたときの年齢をきいてみた。(人名略)

A…39(14) B…60(20) C…75(17) D…80(14)

E…80(16)F…60(13) G…70(20) H…58(20)

I…(13)

  刺青をいれる年齢は、通常いわれている12、3才前後よりやや上で、20才で入れた女性が3人もいるのは気になるところだが、基本的には成人儀礼的な意味合いがあると見るべきだろう。

  紋面は「美しくなるうえ、ふけて見えない」という。顔に刺青をいれて美しく見えるものだろうか、といぶかしく思ったけれど、古い写真の紋面の少女をみると、これが意外にもきれいなのだ。[2]

  しかし、漢族と結婚し、貢山県で働いている39才の紋面女性に聞くと、周囲の視線をつねに感じてしまうと、苦しい胸のうちを打ち明けた。独龍江で目立たなくても、ほかの地域では興味本位の視線にさらされてしまうだろう。老婆になれば皺のあいまに沈んで目立たなくなるが、彼女ぐらいの年齢だとくっきりと浮かび上がって見えるのだ。

  また、上述のリー族の場合と同様、察瓦龍土司やリス族の奴隷商人にさらわれて奴隷にされないため、あえて顔を醜くしたのだという説もある。

  チベット人(察瓦龍土司)の支配下にあるとき、活仏が占いをしたところ、紋面をすべし、と出たという話もある。

   紋面はいつごろはじまったのだろうか。上述のごとく、史書に紋面濮や綉面部落といった名称が現われ起源の古さを思わせるが、いっぽうで三百年前にヌー族から教わったという伝説もある。当時、ヌー族の女はみな紋面をしていたという。以後、察瓦龍土司は他地域と区別するため紋面を奨励した。ミャンマー側の独龍族に紋面が見られないことからすると、土司の役割は無視できない。

  だが清朝末期になると、巡視官として独龍江を訪れた麗江知府秘書長・夏瑚は、紋面を入れた者はその皮をはぎ、彫った者はその腕を落とすとし、厳しく禁じようとした。国民党政府もまた厳しい罰則を定めた。しかし察瓦龍土司は、紋面をしなければ漢人にさらわれるとして、紋面を継続させたのである。(この場合、紋面は羊の烙印のような役目をもつ)

  刺青を彫るのはたいてい女だ。いくつかの村にひとりの割合しかいなかったというから、一種の特殊技能者だったのだろう。しかしプロというわけではなく、(パン)や酒などの謝礼しか受け取らなかった。女は青草汁と鍋墨を混ぜたものに、三、四本束ねた灌木の刺を浸して、顔を仰向けにした少女の顔面のやわ肌に、紋様を刻んでいく。数日後、青黒い花紋が浮かび上がってくる。デザインは複数の種類があるように思われるが、確認できない。


[1] 始祖(犬祖)神話でも紋面は重要な役割を演じる。君主の傷を治した犬は、約束通り公主を嫁にもらうが、夫婦とも海に流され、海南島に漂着する。生まれた男の子は成長して狩りに出たとき、猟犬(つまり父)を殺してしまう。母は息子を非難し、立ち去るが、紋面をして別人になりすまし、戻ってきて息子と結婚する。父親殺し、母子相姦という驚くべきモティーフはさておき、ここでは紋面=仮面の象徴性に注目。紋面を施せば、異なった存在にメタモルフォーゼしたことになるのだ。

[2] パラグァイのアビポン族の女性は顔、胸、腕などにいれずみをいれて「美そのものよりも美しく」していたという。(レヴィ=ストロース『構造人類学』)



滅びる魂、永遠に生きる魂

  独龍族を特異な民族たらしめているのは、その霊魂観だろう。

  ひとは九つの魂(プラ。チベット語のラblaのbは発音されないが、古代音はブラだったと思われる)をもつという。九つというのは、厳密な数ではなく、 「たくさん」といった意味合いかもしれない。道教では三魂七魄と言ってきたし、ジノー族は男九魂女七魂、タイ族に至っては三二の大魂、九二の小魂を認める。身体の各部所に魂が存在するのだ。中国内の多くの民族が魂は三つとみなすが、九つというのは格別多いわけではない。

  これらのうちひとつでも身体から離れると、ひとは調子が悪くなり、いくつも離れると、重い病気になる。離脱した魂を取り戻すのは、シャーマンの重要な役目のひとつである。

  ひとが死ぬと、九つの魂はアシという霊魂になる。アシはアシムリという霊魂世界のような所にしばらくとどまり、それから蝶[1]に変身してこの世に戻ってくる。色あざやかな蝶は女のアシが、単色の蝶は男のアシが変身したものだ。蝶はいずれ死ぬだろう。そしてふたたび蘇らない。つまり、魂もまた永遠に復活しないのだ。

  この「魂の永遠の死滅」というのは、きわめてまれな観念ではないだろうか。近隣の多くの民族が信じる「魂の永遠の棲み処」といった概念もまたない。たとえばナシ族は、肉体が滅びたのち、魂は祖先の霊魂が生前と変らぬ生活を永久に営める世界へ行く。だが独龍族の魂は死滅し、復活することはない。輪廻思想はなく、「永遠回帰」という発想もないのだ。


[1] ネパール・タマン族も魂は蝶のようだと言い、ともにブラ(bhla)である。独龍語では魂はプラ (pla)、蝶はブラク・クワル (blak kwar語根はブラク)

 独龍江で調査をしたとき、この蝶にたとえた死生観以上のものをみいだすことはできなかったのだが、のちミャンマー側で私は独龍族、すなわちラワン族(Rvwang)に送魂路があることを発見した。魂は死滅せず、祖先の住む楽園のような場所に住むことになる。送魂路は、葬送儀礼のなかで、あたらしい亡魂が祖先の来た道を遡上していく道である。残念ながら各地名を現在の地名に比定するのはきわめて困難だが、ジンポー族の送魂路と近いと考えられ、そうすると青海省・甘粛省あたりが民族発祥の地の有力候補となるだろう。伝わる送魂路には三通りある。

送魂路1
1 Pvngrvng Yanwen 2 Cvngma Plaram 3 Vluuram 4 Pvnggotnoy dvm 5 Svlay Nay Dvm 6 Natchang Dang Mvkup 7 Cvngma Laqrang 8 Svngteng Longgang 9 Nasa Longwen 10 Vsi Nvngdor 11 Vsimong, Dvnglon Mong

送魂路2
1 Vshi Gondon 2 NvmbOng Mvrp 3 Latdu Mvre 4 Mvqwheq Mvre 5 Mvtom Mvtaq Mvre 6 Busvng Mvre 7 Zimvtyang Mvre 8 Poqgvm Mvre 9 Ngapvngyang Mvre 10 Gvdoqyang Mvre 11 Vm-aq Vlin Mvre 12 Mvday Dungchet 13 Mvday Mvre 14 Nvmsvla Kurbu Mong 15 Do Domlong Mong 16 Zupvng Mong Tvra 17 Likpan Mong →……Vshi Mong

送魂路3
1 Long Bvngka 2 Dvgo Gungre 3 Vshi Ringtung 4 Mata Mvring 5  Vshom Tvra Tuq 6 Dongya Shigung →……Vshi Mong

最終地点のアシモン(Vshi Mong)は独龍江・独龍族のアシモリと同一であり、亡魂(アシ)の地域(モン)、すなわち冥界(地獄ではない)である。そこに至る前には、頂上の平らな大きな高山があるという。魂はそこから異次元の天界へ飛翔するのだ。後述するクレン(シャーマン)の描く天界がアシモン(アシモリ)と同一であるかどうかわからないが、そこでは祖先とともに永遠の悦楽を享受することができそうである。


崖鬼

  独龍江地方(トゥルン・ムリ)は、左右から山塊で挟みこんだような、深い峡谷である。鬱蒼とした森に覆われ、耕地面積はいたって少ない。このような場所にこそ、豊かな精霊のパンテオンが構築されるものなのかもしれない。

  独龍族はもともと、狩猟を生業とすることが多く、森のなかで過ごす時間が長かった。彼らの怖れる精霊 (プラン)が、崖や洞窟の霊であるのは、そのことと無関係ではないだろう。

  彼らがとくに怖れたのがジプランとレムターだ。

  ジプランは崖や洞穴に棲む悪鬼。ひとが突然激痛に襲われて気絶したり、急病で死に至ったりするのは、ジプランのしわざだといわれる。伝説によれば、ジプランは狩人が変じた鬼だという。

 

  昔、盛大な祭りが終わる日、肉を平等に分割するしきたりなのに、五人の男だけが、分け前から漏れてしまった。そこで彼らは、うっぷん晴らしに山に入って狩りをすることにした。作戦はこうである。一人は犬を連れて崖をよじのぼり、獲物を追いつめる。他の四人は分れて崖の下で獲物を待ちかまえる。作戦を実行に移して間もなく、崖の上で犬が吠え立てたので、野ろばを追いつめているように思われた。ところが半日たっても、野ろばはおりて来ない。それで四人が崖の上にのぼると、今度は下から犬の吠え声が聞える。で、下におりると、犬も男も野ろばも見えない。仕方なく彼らは家に戻り、翌日数人の狩人がくわわって、もう一度山に入った。彼らが崖の上にたどりついたとき、突如として天空かき曇り、暴風雨が吹き荒れ、雷が鳴り響いた。そして崖のなかからひとの声が聞えた。

「おまえら、おれが見えるかい」
  崖の上の草が揺れているだけで、ひとの姿はみえない。
「おまえら、おれが見えるかい」
「いったい誰だ? 姿なんか見えないぞ!」
「おれは、崖鬼、ジプランだ。ひとが変じたのだ。いま、おまえらにおれは見えない。これからは、おまえらが病気になったら、粟と酒を、おまえらの食うものなんでもよい、もってくるんだ」

  こうして、病や災害が起きたとき、豚や鶏をいけにえとして殺し、酒を捧げてジプランをなだめるようになったのである。

  レムターは森と野獣の守護神。伝説によれば、レムターもまたひとが変じたものだという。


  昔、独龍江に兄弟がいた。彼らは山に狩りに行き、崖の上をよじのぼる岩羊を見つけた。が、岩羊はぴょんと跳びはねてどこかへ消えてしまった。弟は深追いはしないほうがいいと忠告したが、兄は犬をつれて崖をのぼっていった。しばらくして犬の吠え立てる声がしたので、弟は崖をのぼったが、犬も兄も姿が見えない。すると突然天が暗くなり、崖の背後から顔の半分が黒、もう半分が緑の怪物が現れたのである。

「おれが見えるかい」
「見えるよ!」
「おれはおまえの兄だが、レムターになってしまったのだ。いっしょに家には帰れない。おまえひとりで戻るのだ。来年またここに狩りに来るなら、おまえにたくさん獲物がとれるようにしてやろう」
  それからしばらくして、この怪物は家にやってきた。が、下半身はほとんど石と化していた。家人が何を出しても怪物は食べなかったが、焼酎が出されると飲み干し、走り去った。翌年、弟は狩りに行き、獲物をたくさん仕留めることができた。それ以来、人々は山に狩りに行く前、レムターを祀るようになったのだという。


  ジプランやレムターなどの崖鬼は、チベット人のツェン(btsan)とよく似ている。ツェンもまたひと(多くは僧)が変じて精霊となったもので、岩窟のような所に棲む[1]。ひとに祟ったり、害を及ぼしたりするが、転じて守護霊となることがある。たとえばラダックのサキャ派マトゥ(ma spro)寺のシャーマン僧に憑くロンツェン(rong btsan まさに谷のツェンの意)は、もと異形の精霊だったが、高僧に憑いて守護霊となった。その出身地はカワカポ(梅里雪山)であり(「ロンツェン・カワカポ」と美称で呼ばれる[2]) 独龍江から目と鼻の距離にある。(二頁参照)

[1] ツェンの主な棲み処は、赤い崖の上、滝、峠など。

[2] gnas chen kha ba dkar po’i bsang mchod dang gnas yig bzhugs so』(聖カワカポ志)


天鬼と地鬼

[天鬼]

グム…精霊のヒエラルキーのトップに君臨する。人類を創造した。豊饒をもたらす。

ムペポン…プラン(鬼)の親玉。サタン的存在。

レムラ…ナムを造った。男女。

ナムシェンロ…天薬を掌る。

ナムポエン…ナムの指揮官。

ナム…人の疾病の治療を担当。

シェンマプラン…天鬼侍従。嘔吐、眼病を起こす。巫師は、炒った麦粉を盛った藤籠を病人の頭上に置き、祈祷する。

ムンプラン…雷鬼。

モシンプラン…虹鬼。腰痛を起こす。

ゲムター…天鬼。

ミンジャシャカ…天鬼。

[地鬼]

ラー…山頂にいる善霊。五穀豊穣、人畜繁栄をもたらす。

ジプラン…崖鬼。前述。全身にうずくような痛みを与える。

レムラン…小崖洞鬼。足痛、腰痛、眼痛などを起こす。酒を捧げて祀る。

ミプラン…山鬼。

ジンリプラン…山鬼。豊饒を守る。

レムター…狩猟鬼。森と動物を管理。前述。

ムリプラン…樹鬼。黒々とした小鬼の群れ。山林中に棲む。夜間、風のような声で吼える。柴刈りをしたり、山焼きをするとき、ケガをさせる。体にできものを作る。足にできものができたら、小さな木彫り(男型6個、女型7個)に木炭で線を描き、それらを竹竿に吊るして屋外にたてかける。

センホ…樹鬼。全身を痛くする。

レリプラン…樹鬼。

ロリプラン…地上鬼。

デゲラ・プラン…まとわりつき鬼。数種類ある。シン・デゲラは人を呼んで山中に誘い込み、木を倒して押しつぶす。ルン・デゲラは人の上に岩石を落とし、頭をつぶす。アン・デゲラは人を川に落として溺死させたり、飛び込み自殺させたりする。このほか毒蛇に咬まれて死ぬのや、刀や矢が当って死ぬなどの突発事故はデゲラ・プランのしわざとみなされる。

  デゲラ・プランは、しばしばレサモレン(鬼)を美しい年頃の娘に変身させ、送り込む。娘は青年の夢のなかにあらわれる。ふたりは恋に落ち、夫婦になる。しかし外から見ると、青年が次第に衰弱し、痩せ細っていくのがわかる。最後には木や岩に押しつぶされたり、川に落ちたり、飛び込み自殺をして死ぬ。

  山道を歩いていると、じぶんのあとをついてくる足音がする。ふりかえって も、なにもない。これはデゲラ・プランなのである。

デゲラ・プランにまとわりつかれたと思ったら、ナムサを呼び、駆逐する巫術儀式をおこなう。しかしそのやりかたはいっぷう変っている。(まとわりつかれた)青年のまわりにたくさんの娘を坐らせる。そしていかにもじゃれて楽しんでいるかのように見せ、レサモレン(鬼)の嫉妬心をあおる。そのときを見計らって、ナムサはじぶんのナム(守護霊)と助手を呼び、刀をふところに隠し、屋根の上にのぼる。屋根の上は、鬼が出入りする場所なのだ。鬼(デゲラ・プラン)が見えたら、刀でばっさり斬る。鬼はナムサにしか見えない。鬼によっては首飾りをしていて、斬ったときに音がすることがあるという。

ナムサのクレン(後述)はデゲラ・プランを殺したことがある。ある小学校教師の23才の娘がデゲラにまとわりつかれた。夢のなかで(鬼の化けた)青年と交歓するようになったのだ。それで教師はクレンに依頼した。クレンは村の四人の若い男女にきれいな服を着てもらい、笛などの楽器をもたせ、熊当から龍元へ、そして龍元から熊当へ歩かせた。30キロ以上の行程である。その間楽器を吹き鳴らしたので、鬼もずっとついてきた。娘はさすがにぐったり疲れたが、それは鬼も疲れたことを意味していた。彼らは熊当村の丘にのぼった。そこにクレンは待っていたのだ。娘は地面の上に竹竿で円を描き、そのなかに竹竿を挿した。デゲラは竹竿の先にとまって憩んでいる。そのときクレンは助手に命じて竹竿の先を斬らせ、みな村に戻った。クレンは教師の家で太鼓を叩きながら祈祷し、娘の手足にまとわりついていた(象徴的な)縄をほどいて、娘はようやくデゲラから解放されたとみなされたのである。

ナムサのコンチェントゥリ(後述のウとは同名異人)は鬼殺し専科の女ナム3人をもっている。その甥、リアンチェン(30才で結婚もしている)がデゲラにまとわりつかれていると、占いに長けたナムサである父、コンチェンペンセルが相談してきた。そのいい機会は、半月後にやってきた。リアンチェンは薬草(貝母)採りのため遠出をし、村に戻ってくる。村に入る前の適当な場所を選んで、決行することになった。半月も歩いているので、人も疲れているが、鬼も疲れているとみなされた。また鬼を村のなかに入れないためにも、村の外で決行する必要があったのだ。[この日の朝、ふたりの老婦人の治療儀式を終えてから、デゲラ退治をおこなった] まずナムサは象徴的に、戦士のかっこうをする。軍靴をはき、戦衣を着て、準備万端だ。コンチェンペンセルはナムサと助手に麻布をわたすと、彼らはそれを羽織って胸の前にあわせる。これはコウモリを象徴している。遠くに迅速に向えるという意味だ。ふたりはその場であっちやこっちへと動き回り、いざ出陣のしぐさをする。それからほんとうに出発し、約3キロ歩いて山を越え、リアンチェンに出会う。ナムサは槍で突き刺すように両手を挙げ、助手は刀で斬りかかる。こうしてデゲラを不意打ちするのである。

ムルン・プラン…路鬼。日夜山道を徘徊し、路行く人にまとわりつく。転倒したりする。

イシュ・プラン…路鬼。

ル・プラン…渓流鬼。手足を腫れ上がらせる。ナムサは蕎麦のをこねて獣の形を造り、藤籠に入れて念じ、屋外に放置する。

リュ・プラン…石鬼。


[水鬼]

ワチャン・プラン…水崖鬼。岸辺の岩石崖に棲む。知らないで出くわすと、腹痛などを起こす。吐血、熱病を起こす。家から百米離れた所に鶏と酒を持っていき、祈祷する。鶏は放ち、酒は森のなかの木の枝に吊るす。

ボムラン…川辺鬼。腹痛を起こす。

シャシャ・プラン…川中鬼。

シト・プラン…水鬼。

チャルタ・プラン…溺死鬼、あるいは替死鬼。

[疾病鬼・災害鬼]

セラン…野鬼。頭痛、眼痛を起こす。

ネム・プラン…野鬼。

アランガ・プラン…夜鬼。夜、遊びまわるのが大好きで、ときおり奇声を発したりする。人や家畜を驚かして、死に至らしめる。

グム・プラン…頭痛高熱鬼。

プラ・プラン…昆虫か小さな草のかたちをしている。通行人に着き、食事のときいっしょに体内に入る。

ナムラン…肺結核鬼。雀蜂のような姿で跳び回り、結核菌を散布する。

ルイ・プラン…癩病鬼。蚊や蝿の姿で跳び回り、癩病を広める。体に着いたら、もう離れない。

ニツァ・プラン…吐瀉鬼。

サンド・プラン…乱鬼。眼病、聴覚障害、腹痛などを起こす。鶏と酒を捧げ、なお病が改善しない場合、豚、あるいは牛を捧げる。

ファマ・プラン…疼痛鬼。

ツァンマ・プラン…羊神。手に痛みを走らせる。

クムル・プラン…家屋失火鬼。

[巫師鬼] モペン…手痛、眼痛、肩痛などを起こす。蕎麦のをこねて男型六個、女型七個を造り、藤籠に入れて屋外に持ち出し、祈祷する。死んだ巫師の魂が化したのはモペンシ。膝痛、咳を起こす。竹竿を挿し、その上に竹板を置いて祭壇とし、上にや酒を置く。

ジ・プラン ナム ラー


魂を飛翔させるシャーマンたち

  独龍江は、いわば霊的意識の発達した地域だといえる。このような場所で、シャーマンは社会のかなめのような存在であり、よきにつけ、あしきにつけ、それなしには機能不全に陥ってしまうのだ。

  シャーマンはたんなるペテン師よばわりするには、あまりにも危険が多く、そのわりには益の少ない仕事である。ここに半世紀前に起ったさまざまな事例をみてみよう。

40年代末、熊当と迪政当には四人のナムサ(シャーマン)がいた。そのうちひとりは治療に力を発揮したが、他の三人はいかさまとみなされ、村びとに殺された。

50年代、独龍江では病気が多く発生し、そのぶんナムサの数も増えた。ある年、独龍江じゅうの九人のナムサが、中流域の孔目に集まり、治病にあたった。ところが彼らはひそかに話し合い、病気を根絶しないで、いくぶんかは残すことにした。病気がまったくなくなったら、「飯の食い上げ」になるからだ。しかしその謀議が露呈してしまった。彼らは憤慨した群集によって処刑された。

  熊当にナムセンというシャーマン(ウであり、ナムサでもあった)がいた。彼のナムは酒や肉を供えないと、怒って病気にさせたり、害をもたらしたりした。あるときナムセンは、チコンクエンに「二、三日以内におまえの家族のだれかが、毒蛇に咬まれるだろう。家の門の近くで、赤い蛇にやられるのだ」と言った。それでチコンクエンは酒を贈り、害を未然に防いだというのだ。

アパイはナムセンがじぶんの親戚を呪い殺したと考えた。彼は刀をもって追いかけ、ナムセンは翻然と崖から川に飛び込んだ。人々は邪悪なナムが死んだのは、当然の報いだとみなした。

  ナムサペンというナムサがいた。彼はレムダン村で、アパロンペンの親戚を治療していたが、死んでしまった。アパロンペンはナムによって殺されたと思い込み、ナムサペンを殺害した。

  シェロンクルというナムサがいた。彼はうだつのあがらない、怠惰なナムサとみなされていた。妻に死なれ、子連れの女と再婚したが、その子どもをいつも虐待していた。7、8才になった子どもは、父(ナムサ)が溜索(ロープ橋)を渡るとき、ロープを切って川底に落とした。

  このようにシャーマンはつねに死と隣り合わせなのである。人を害することもできるが、同時に恨みも買いやすいのだ。

シャーマンは、大きくナムサとウにわけることができる。ナムサはナムという天の精霊を守護霊とし、ウはジプランなどの悪鬼を味方につける。他にシュンマというタイプのシャーマンもいる。限られた時間のなかで、わたしは3人のシャーマン(二人のナムサ、一人のウ)に会うことができた。


クレン(49)ナムサ

わが独龍江踏査最奥の地は、クレンが住む熊当だった。ここまで来るとさいはての寂寥感が漂い、閉塞感に圧しつぶされてしまいそうになる。われわれが村に到達したとき、クレンは農作業に出ていた。近所の子供が呼びにいったが、その子の服はぼろぼろで、体じゅう汚れ、裸足だった。やってきたクレンは身長一五〇センチ足らずの小柄な、笑うことなど忘れてしまったかのような、無愛想な紋面の初老の女だった。クレンのヒーリングパワーは独龍江ではよく知られていたが、このときは「病人がいない」という理由で、治療活動を見ることはできなかった。クレンは部屋のすみ(西南方向)で鈴を鳴らしながら、清めの祈祷をおこない、ナム (精霊) を呼んだ。重要な道具である太鼓は見せてくれたが、この小さな儀礼では用いなかった。太鼓は何世代も前にボンポからもらったものだという。独龍族の民間信仰はボン教と関係があるのだろうか。

それからクレンはインタビューに応じてくれた。ただ、このとき聞いたものと、一五年前の資料とではあまりにも食い違いが多いことを認めざるをえない。(以下は、資料をベースとし、それにあらたな情報を付け加えた)

  クレンはチャンロン氏族の出身で、夫のディツェン・ワンポンはチャムレイ氏族出身のウ(シャーマンの一種)だった。彼らの間に十人の子が生まれたが、うち六人は生後まもなく、二人は長じて死に、残る二人だけが成長した。

  クレンが少女の頃、重い病にかかって臥せていると、枕元にたくさんの帽子を被った小人があらわれた。それがはじめて見たナム(精霊)である。しばらくして太陽光が部屋に射すと、病は癒えた。

1978年頃、六人のナム(男三女三)が毎月一回、訪れるようになったが、そのことは自分の胸の内に秘めておいた。

  1980年、熊当生産隊長の妻が病気になり、大ナムサ、ムーランタムティンが治療のためよばれた。そのころクレンも病気がちだったので、この大ナムサに診てもらうことになった。彼は言った。

「おまえはナムがいるのに、そのことを秘密にするから、病気になるのだ。もし今後も隠しつづけるなら、おまえか家族のだれかが死ぬだろう」

  クレンはひどく怖がった。それでついにナムサになると、病はよくなり、働けるようになったのである。このあとナムは月二回訪れるようになった。二回とは、陰暦の毎月一日、十五日、あるいは三〇日である。

  ナムは以下のメンバー。[ 果社Eの調査1983による ]

ワンミ・ティソン(男)ムシュン・チュムとともに最重要のナム。この二人のナムは、精霊が持ち去った病人のプラ(魂)を取り戻す。痢疾(下痢を伴う伝染病)の治癒を得意とする。ワンミ・ティソンはいつも青色の衣裳を着る。顔は猿のように長いが、小鳥に化けて、家のなかを飛び回る。

ムシュン・チュム(女)漢族の娘のように長いお下げを頭の上にまとめ、白の服を着る。ときには青のスカートをはく。首飾りやイヤリング、ブレスレットは着けない。鉄の鏃を携帯し、痢疾病鬼を殺す。この鬼は豚のような姿をしていて、身体をふるわすと、豚や羊の毛として飛んでいき、人の身体のなかにはいって痢疾を引き起こす。

  そのほか、ペンセルナム(男)タンカンチェンロン(男)ロンセルワパマ(女)ツァイジチュム(女)の計六人。

  われわれにクレンが語ったナムは、八人だった。人数が増えるのはありえることだが、名前が大きく異なるのはなぜか、わからない。

  それは、セニチャラナ  ニチャラペンセ  ナンドシュンマ  シャムンモミム  ナニマプータ  ナンカイマパ  レンランミム  ソンヤーカレンの八人。性別、役割(対する病名)は不明。

  クレンによれば、ナムは天界のナムムリ(あるいはナムルカ)という世界に住んでいるという。彼女はじぶんのプラ(魂)を飛翔させ、木梯子をのぼってナムムリに行くことができる。そこはとても清潔で、美しく、いたるところに花が咲き乱れ、香気に満ちている。ナムたちは、透きとおるような玻璃窓が嵌まった七、八階建ての邸に住んでいる。レムラという男女のナムの頭目もそこにいて、ナムをつくり出している。ナムたちは、下界の人間が供えた食べ物や酒、供犠の家畜などによって生活している。彼らは勉強をし、文も書く。ナムの学校があり、そこで人間の病気や治療法などについても学ぶのだ。

  ナム(精霊)とプラン(鬼)は対の存在といえる。ナムを管理するのはナム・ポエンであり、プランを管理するのはプラン・ポエンである。人間界と同様、さまざまな問題が発生するので、彼らはけっこう忙しいのだ。ナム・ポエンは人間に祟るナムをきびしく取り締まる。違反したナムにたいしては、アツァラという竹矢で串刺しにし、動けないようにする。しかしナムによってはものともせず、祟るのをやめないのもいるという。

  ナムは鎖のようなものを使って、天と地の間を行き来するが、人間のプラ(魂)は木梯子を上り下りするという。人間の生死を司るのは、天神グムである。生まれることが天神グムによって決定されると、そのプラはまず天上界に生まれる。それから木梯子を下って、地上に生まれるのだ。死ぬことが決定され、プラが「ヘルム界[1]」に送られると、もう助かる道はない。「ガルワ界」だと、まだ望みがある。ナムサが、死にかけたプラを救出できるかもしれないのだ。

  クレンのナムは、氏族(チャンロン氏族)内で継承されてきたものだという。このナムはもともと、昔、ひとに追われて川に飛び込んで死んだナムサの化したものだった。その後スエンリジョン(丘の上)家族のナムと、ガンロン(江湾)家族のナムに分れたらしい。ナムは一世代、二世代を隔てることはあるが、氏族外に伝わることはない。

[1] 天九層の第八層。「ガルワ界」は第五層。天界の構造については以下参照。



[天の構造]

第一層「ナムニェンゲゾ」 最上層。プラン(鬼)の親玉であるムペポンが住む。

第二層「ムーダイ」ナム、人、動物の頭目である天神グムが住む。グムは人や動物の生死を司るだけでなく、男女の配合や生育、家庭生活までも決定する。いわば運命神。

第三層「ナムルカ」ナムの山。ナムの頭目たちが往来する。

第四層「ムダー」一般のナムが住む。

第五層「ガルワ」鍛冶匠のアシ(霊魂)が住む。チベット語(mgar ba)

第六層「ダーランブラ」グムに捧げられた畜生のプラが棲む。

第七層「チャリソン」ナムが天地の間を往来するとき通る中継地点。

第八層「ヘルム」人家の屋根から上。

第九層「タムカ」人家の囲炉裏の上方。

  以上はクレンの語る天だが、大ナムサ、コンチェントゥリの天十層と大同小異である。大ナムサ、ムーランタムティンは天を三層と捉える。クレンらが最上層を鬼の親玉の棲みかとするのにたいし、ムーランタムティンは、グムの住む「グムムリ」とする。注目されるのは、いずれも天の最下層を家のなかの囲炉裏の上方としている点だ。つまり、ごく身近なところに天の一部があるということなのだ。手のとどくところにある天。そこはもっと上の天につながる、天の入り口なのである。ひとびとは酒を飲んだり、肉を食べるとき、囲炉裏の鼎(三つの石、三本の鉄脚)に酒や肉の一部を振り撒く。それは漠然と天に捧げるのでなく、天の最下層部に捧げているのだ。


ドゥナ(70)ナムサ

  ドゥナもまたよく知られたナムサだ。村の中心から畑や野原を抜け、村はずれの家が何軒か集まっているあたりに行くと、舌を鳴らしながら鶏をおっている盲目の(もちろん紋面の)老婆がいた。彼女の家から十メートルばかり離れたところだった。家はどこにでもあるような校倉式の建物だが、入り口横にかけてある牛の角が目をひいた。

  ガイド役のP君(父はチベット族、母は独龍族)が体調を崩していたので、さっそく「治療」をしてもらった。といっても、息を吹きかけながら、胸のあたりを撫でるといったごくシンプルなものだ。重病人の場合、ラアパ儀式(後述)をおこない、犠牲の鶏を患者の身体のまわりでまわしながら祈祷する、といったことをするらしい。

  そのあと家の前で鈴を鳴らしながら念じ、ナムを呼んだ。

  ドゥナは、迪政当の生産小隊隊長(故人)の妻だった。祖父のトゥンツェンクンチャは、前述の夏瑚から委任状をもらったカサン(頭人)であり、またロンウー氏族のナムサでもあった。彼のナムは八人(男6女2)だった。

  ドゥナは失明するとともにナムが見えるようになったというが、つぎの話の時点で視力があったのかどうかは、はっきりしない。

  ある晴れた日、ドゥナは病気で囲炉裏端に横たわっていると、太鼓を吊るしたあたりに二人の男とひとりの女が現れた。「われわれはあなたと友だちになるために、カワカポからやって来た。あなたたちは衛生に気をつけ、よく洗濯しなければならい」と謎めいたことを言うと、忽然と消えた。ドゥナはその瞬間、意識をうしなった。

  七、八日後、大ナムサ(上述)のムーランタムティンが治病のため迪政当にやってきて、トゥリクンの家に泊まった。彼はドゥナにナムが来たことをすぐ察知し、トゥリクンに語った。「ドゥナにはナムがいるぞ。ナムサであることをあきらかにすれば、病はよくなるであろう。おまえはドゥナを呼び、酒席を設けるのだ。わしはわがナムとよく話をし、わがナムはドゥナのナムに話をするであろう。これでドゥナはナムサになるのだ」[1]

  ドゥナには八人のナムが現れた。これは祖父とおなじではないかと考えられる。祖父から一代を隔てて、ロンウー氏族のナムが継承されたのだ。しかし近年、さらに三人のナムが加わった。ナムは以下の通り。

スオンバンスエン(女)ナムの首領。算命術を得意とする。天界からナムを派遣して、病人のプラを救う。

デンカンチェンソン(男)スオンバンスエンのパートナーであり、助手。このふたりはつねにドゥナのそばにいて、警護している。

カムラナム(男)悪鬼デゲラプランとレサプランを殺すのが専門。

ペンセルナム(男)カムラナムの助手。

ムーシャンソン(女)痢疾専門。

カントゥナム(男)ムーシャンソンのパートナーであり助手。他の病気を治すこともできる。

ワンミティンスエン(男)腹痛、頭痛、身体の不快感などを治す。

タンゲルナン